日本国を愛する日記

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誇り高き日本人 国旗の重み …ウズベキスタンのナヴォイ劇場

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-ウズベキスタンのナヴォイ劇場

誇り高き日本人
日本の大切な友好国 ウズベキスタン

国旗の重み ウズベキスタンのナヴォイ劇場


日本から遠く離れた中央アジアの国、ウズベキスタンの首都タシュケント…その都市には、ウズベキスタンで一番有名な ”ナヴォイ劇場” というレンガで造られた、ビザンチン様式の美しい劇場があります。

劇場の左壁のプレートには、ウズベク語、日本語を含む4ヶ国語でこう刻まれています。


『… 1945年から1946年にかけて
極東から強制移送された
数百名の日本国民が
このアリシェル・ナヴォイ劇場の
建設に参加し、その完成に貢献した。…』

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-記念プレート ウズベキスタンのナヴォイ劇場

そう、この劇場は戦後ソ連の捕虜となった日本人抑留者の手によって作られたものだったのです。

戦争が終わった1945年、9760余名がタシュケントに移送され、大きな犠牲を払いながら数年にわたり都市建設に貢献しました。

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-日本人抑留者 ウズベキスタンのナヴォイ劇場

その中で今回のテーマとなるナヴォイ劇場の建設に携わったのは、永田行夫元陸軍技術大尉率いる450人からなる タシュケント第四ラーゲリー隊” でした。

隊長の永田氏は、当時25歳だったそうです。…永田氏は当時の事をこう振り返ります。


『… 無論、不幸なことには変わりはない。
食事は常に不足して、私も栄養失調で
歩くのがやっとの時期があった。

南京虫には悩まされ、月一回のシャワーは
石鹸を流し終える前に湯が切れた。

冬は建設現場の足場板を持ち帰って
部屋の薪にしていたが
後にばれて厳禁となった。

二人の仲間が事故で亡くなった。…』


ウズベキスタンに送られた25,113人の内、わずか2年で813人の犠牲者が出たことを考えれば、どれほど過酷な環境であったか容易に想像ができます。

そんな過酷な環境の中、日本人抑留者は実直、勤勉に仕事に励み、予定工期を大幅に短縮し、わずか2年で劇場を完成させました。

綺麗な天上の模様も、繊細な彫刻も、日本人抑留者が作ったものです。

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-彫刻 ウズベキスタンのナヴォイ劇場

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-彫刻2 ウズベキスタンのナヴォイ劇場

強制労働をさせられている身分にもかかわらず、真剣に責任感を持って仕事に取り組む日本人にやがて現地のウズベク人は、好意と尊敬の念を持ち始めます。

ウズベキスタン中央銀行副総裁のアブドマナポフ氏は、子供の頃、日本人が働く姿を見た事があるそうです。

子供心にいつも疲れて帰ってくる日本人抑留者を見て同情した氏は、友人と一緒に何度となく宿泊所の庭先に、自家製のナンや果物を差し入れに行きました。

するとその数日後に必ず同じ場所にあるものが置かれていたそうです…それは精巧に作られた手作りの玩具でした。

強制労働で疲れ切った抑留者という身分であったにもかかわらず、受けた恩に精一杯の謝意を表明しようとした日本人抑留者の行為は、道徳的規範としてウズベク人のあいだで語り継がれるようになったそうです。

やがて、時は流れ完成から20年後の1966年、タシュケントの建造物の3分の2を崩壊させた大地震が起こりました。

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-地震 ウズベキスタンのナヴォイ劇場

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-地震平気 ウズベキスタンのナヴォイ劇場

周囲の建物が瓦礫の山になってしまった中、それまでと変わりなく凛として立つナヴォイ劇場をタシュケント住民は、日本人への畏怖と敬意の念を持って見上げたそうです。

そういう経緯もあってか 多くのウズベク人が 子供の頃母親から…

「日本人のように勤勉でよく働く人間になりなさい」

…と言われて育ったといいます。

また、ソ連時代、日本人墓地をつぶして更地にするようにと指令が出されたそうです。ソ連政府は捕虜使役で劇場が作られたことを隠蔽したかったのです。

しかし、ウズベキスタンの人は その指令を無視して、ここは日本人が眠っているのだからと墓地を荒らさず きれいな状態で守ってくれました。

ウズベキスタン独立後、中山恭子特命全権大使ウズベキスタン政府に日本人墓地の整備をしたいとお願いしたそうです。

スルタノフ首相(当時)からは直ぐに答えが返ってきました…

ウズベキスタンで亡くなった方のお墓なのだから、日本人墓地の整備は、日本との友好関係の証としてウズベキスタン政府が責任を持って行う。これまで出来ていなかったことは大変はずかしい。さっそく整備作業に取りかかります」

ウズベキスタンでも呼応するかのように、素晴らしい提案がありました。

コジン・トゥリャガノフタシケント市長(当時)からの、…

「建設中のタシケント市の中央公園を日本の桜で埋められないだろうか」

…という提案でした。

今この公園は 「さくら公園」 と呼ばれているそうです

「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-墓 ウズベキスタンのナヴォイ劇場


参考サイト・文献
ウズベキスタンの桜 著:中山恭子

www.youtube.com

 

 

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