日本国を愛する日記

日本国を愛し、正しい歴史感を発信してゆきます。

日本人が知っておきたい歴史の真実

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日本人が知っておきたい歴史の真実

1940年、ナチスドイツの迫害から逃げてきたユダヤ難民6000人以上の命を救うビザを発給した外交官、杉原千畝の話は有名です。

しかし、未だに 「杉原は日本政府の方針に反してビザを発給した」 というデマが流通している。…しかし、ビザ発給には杉原個人の気転や勇気が必要だったことは確かで杉原の名声が変わる事はない。

だがそれを支えたのは同盟国ドイツからの圧力をはねのけ、「民族差別をしないという八紘一宇の主張」 を守り抜いた日本政府の方針だったのです。

現にユダヤ難民を救った日本人は杉原だけではない。

杉原ビザより二年前の1938年3月、ナチスから逃れてシベリアを横断したもののソ連満州国境のオトポール駅で立ち往生凍死の危険にさらされていたユダヤ難民たちを救ったのは関東軍樋口季一郎少将だった。

樋口を動かしたものは、ポーランド公使付武官だった時にユダヤ人から何度も聞いたこんな言葉だった。

「私は日本の天皇こそ、我らの待望するメシアではないかと思う。何故ならば日本人ほど人種的偏見のない民族はなく、日本の天皇はまたその国内に於いて階級的に何等の偏見も持たぬと聞いているからだ」

樋口はユダヤ難民輸送列車の手配を満鉄総裁に依頼。総裁はユダヤ難民を無賃輸送するように指示。その後も無賃輸送は続けられた。

その満鉄総裁とは、誰であろう松岡洋右である。

一方これに対し、ナチスドイツから抗議が来て、樋口は関東軍参謀長の事情聴取を受けた。
だが参謀長は樋口の意見に賛同してナチスの抗議をはねのけ、その後も同じルートでユダヤ難民は続々避難してきた。

その参謀総長とは誰であろう、東条英機なのだ。

同年12月、首相、外相、蔵相、陸相海相の五大臣による五相会議で 「猶太人対策要綱」 が策定されユダヤ人を排斥しないことが正式に日本の国策となった。

こういう問題は本来外務大臣の所管である。しかし、樋口の補佐などを務め、満州におけるユダヤ難民保護の方針を策定した安江仙弘大佐が陸軍大臣に意見した。…これに共感した陸軍大臣が五相会議に提案し、国策として成立させたのである。

その陸軍大臣とは誰であろう、板垣征四郎である。…彼は、満州事変の首謀者ということでいわゆるA級戦犯の中では東条英機の次に悪者扱いされている人物である。

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この、いわゆるA級戦犯の中でも最も評判の悪い3人こそが数万のユダヤ難民救済に欠かせない役割を果たしたのだ。

そして杉原千畝の勇気ある行動を支えたのはいわゆるA級戦犯、板垣の尽力によって成立したユダヤ人差別せずの国策だったのだ。

満州を通過したユダヤ難民たちは、上海に向った。当時入国ビザなしで入れたのは上海の共同租界で日本海軍軍備地区の虹口だけで、そこは最大3万人のユダヤ人であふれかえった。

海軍のユダヤ専門家、犬塚惟重大佐はユダヤ人保護に奔走。…犬塚の秘書でもあった夫人の話によると後に白露系ユダヤアシュケナージ教会名誉会長ブロッホという人から名前を『ゴールデンブック』に載せたいという申し出があったが犬塚は…

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「私は哀れなユダヤ難民を助け、東亜のユダヤ民族の平和と安全を守る工作は犬塚個人の判断ではなく、天皇陛下の万民へのご慈愛にしたがって動いただけ」…と残している。

考えてみよう。
このユダヤ人支援の国策は歴史の重大な分岐点だったはずだ。

東京裁判天皇が免責されたのは、アメリカの政府的判断だったことは周知の話し。…しかし、もし日本がほんの少しでもホロコーストに加担していたらどうなっていたか?

当然ユダヤ人は決して赦さない…この頃、ユダヤ資本はアメリカへの影響力くぉ高めていたので、アメリカ世論は強硬に天皇の処罰を求めGHQも抗えず、天皇A級戦犯として訴追されただろう。

日本はドイツと同じ 『人道に対する罪』 を延々と背負い続けることとなっただろう。

つまり、ユダヤ人を排斥しないという国策決定に寄与した板垣、東条、松岡こそが結果的に天皇の命と日本の名誉を守った最大の功労者だったこととなる。


■有名になったユダヤ難民6000人以上の命を救うビザを発給した外交官、杉原千畝の英雄的な行動も、このような背景があってこそだったんですね。

 

『世界が語る大東亜戦争東京裁判
吉本貞昭 著 『はじめに』(ハート出版)

 

 

 

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