日本国を愛する日記

日本国を愛し、正しい歴史感を発信してゆきます。

太平洋戦争は侵略戦争だったのか

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太平洋戦争は侵略戦争だったのか (「凛として愛」より)

 

明治維新
1853年、日本がペリー率いる黒船艦隊により、開国されたときアジアは欧米列強による植民地化にあった。
白人こそ最も優れた人種であると考えた。
アジアを文化果ての未開の地、非文明地と見なし、次々と植民地化していった。…しかし、日本を植民地にすることは出来なかった。

侍たちが欧米人の差別と蔑視を跳ね返すために、明治維新を成し遂げ、新しい体制の元、国民を一つにまとめ近代化に取り組んだからである。その大胆さと決断力が日本を守った。


日清戦争
この列強の勢力に対抗するため、日本は朝鮮半島にあった朝鮮国が長い間服属していた清国より独立し、共にアジアの安定に強く関わる事を強く願ったのだが朝鮮は国論が一致せず、清国もそれを許さなかった。

明治27年、朝鮮の独立を巡って清国との間に日清戦争がおきた。
靖国神社に祀られる日清戦争戦没者:1万3619柱英霊


日露戦争
大国清に勝って喜ぶ日本に突然襲い掛かってきたのはロシアだった。
下関条約によって清から遼東半島、台湾を領土として譲渡された日本対し、ロシアはフランス、ドイツを誘い遼東半島を清国に帰せと要求してきたのである…これが三国干渉だ。

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日本に三国と戦う力はなかった…「深く時世の大局にに見、邦家の大計をあやむることなきを期せよ」との明治天皇のお言葉に国民は涙をのんでロシアの要求に従った。
しかしロシアはすぐにその遼東半島を自国のものとしてしまった…力が全ての時代だった。

日本人の魂に怒りの炎がついた。国家が強くならなくては白人社会の横暴に対抗できない。
『臥薪嘗胆』(将来恨みを晴らすまでどんな苦労にも耐えるという)という言葉が国民の合言葉となった。

10年後、東アジア征服を目論むロシアはついに牙をむいた。
満州を占領し、大兵力を朝鮮半島に進出させてきた…日本に危機が迫る。

名越二荒之助 高千穂商科大学 前教授
朝鮮半島がロシア領となると横っ腹に匕首を突きつけられたようなものですから…ついに日本は立ちあがったわけです」

ロシアは当時、世界最大の陸軍大国であった。…日露戦争開戦時の国力比
面積
ロシア 2400万平方キロメートル
日本  37万平方キロメートル

鉄鋼生産
ロシア 270万トン
日本  4万トン

人口
ロシア 約1億2千万人
日本  約4千6百万人

国家の歳入
ロシア 約20億8千万円
日本  約2億9千万円

動員可能兵力
ロシア 約200万人
日本  約100万人

日露戦争投入兵力
ロシア 約50万人
日本  約30万人

戦費
ロシア 22億円
日本  15億円

軍艦の総排水量
ロシア 約80万トン
日本  約22万トン

日本が勝てるデータはどこにもない。世界もまた日本の大敗を予測していた。
天皇は深い憂慮を示された…だが若き総理大臣、桂太郎天皇に心の内を明かす…宣戦布告である。

負ければ日本はロシアに占領される。まなじりを決した7000万人の国民が背後にいる…日本は決然と立った。

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陸軍:大山巌児玉源太郎黒木為禎奥保鞏、乃木希助
海には連合艦隊司令長官東郷平八郎、天才作戦家の秋山真之がいた。

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渾身の力でロシアに立ち向かったのが明治37年日露戦争だ。…この戦争はロシア国家を滅ぼす事が目的ではない。朝鮮半島満州からロシア兵を追い返すことにあった。

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東亜の植民地支配脱却への息吹
名越二荒之助 高千穂商科大学 前教授
ルーズベルト大統領が日本海海戦で勝利のときは嬉しくて仕事が手につかなかったと言ってます。インドのネールが自分の青年時代の一番の感激は日本が大国ロシアを打ち破った事だと言っています」

日露戦争の日本の勝利は、列強の植民地化にあった全世界の人々に勇気と希望を与えた…自分たちでも白人社会に対抗できると独立運動の風を巻き起こしたのである。

人種差別の激しいアメリカでも黒人活動家アーチボルド・グリムケは、「小さき褐色の人々よ
征服せよ…汝の恐るべき剣を鞘に収むるなかれ…汝はロシア人を打ち据えた、汝はロシア人以外の人々の誇りを権力を打ち据えるよう運命づけられている」

グリムケは強大な白人社会を打ち破った同じ有色人種の日本に尚も世界の権力者たちをその誇りを打ち破る事を激励している。

人種差別こそ20世紀最大の悪であった…これがなかったら世界は血を流さなかったかも知れない。


祖国を守った英霊たち
靖国神社に祀られる日露戦争戦没者:8万8429柱英霊…日本の為に地に伏した人々である。

全国津々浦々には、国家に忠義を尽くした英霊を讃える忠魂碑が数多く建てられています…『あなたがもしも通りかかったら心の思いを伝えてください…英霊はきっと心から喜ばれるでしょう』

国を思い、家族を慈しむ日本人は、一度国難があれば身を呈して戦場に赴いた。

後顧の憂いを断ち
粛々として征った将兵
胸にあるのは
今はもう
誰も言わなくなった
忠義という心であった

その心あって
日本の国は
亡国とならずにいる

現代日本人よ、祖国のために逝った英霊に黙とうをささげてほしい。


植民地支配維持を目指す西欧列強
日清戦争日露戦争に勝利した日本はアジアに力を伸ばしていった。
大正3年、日本は第一次世界大戦に参戦後、カロリー諸島など南洋諸島統治権国際連盟より委託される。

また明治43年には韓国(大韓帝国)を併合する。

名越二荒之助 高千穂商科大学 前教授
「韓国国内では国論が一致しない、一つにならない、派閥争い、権力争いが絶えない、外国勢力がすぐに便乗する。大正8年に31独立運動、万歳事件が全国に広がりました。しかしデモをやれば独立できるのかと批判して『こんな軽薄な民族ははき捨てるべきだ』と批判した韓国人もいた」

しかし、アジアをあくまでも支配したい欧米列強にとって東洋に突出してきた日本は邪魔な存在に見えた。

大正10年のワシントン軍縮会議では日本の海軍力はおさえられ、それまで最大の支援国であったイギリスとの同盟が破棄された…日本を孤立化させようとするアメリカの意志である。

 

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満州事変へ…
一方、中国大陸では排日の嵐が吹き荒れていた。大国清はすでに革命で倒れ、国内は中国人同士の権力争いで乱れに乱れ、民衆は西に東に逃げ惑っていた。

そして国内を統一しようと現れたのが国民党率いる蒋介石である。
日本の近代化を見習おうと多くの中国人が日本に留学、共にアジアの安定に協力しようという気運が盛り上がっていたがそれを遮ったのが共産勢力であった。

第一次世界大戦中にロシアは革命によって倒れ、社会国国ソビエト連邦共和国が成立していた。この新たに起こった国家の共産主義は当時、『赤の恐怖』と呼ばれていた。…ソ連は中国を赤化するために中国人の手により外国人を排除しようとした。

その矢面に立たされたのが中国各地に勢力をのばし、正当な権益を持つ日本であった。

ソ連共産党に先導された多くの民衆、国民党が排日運動に加わり、各地の日本人居留民が襲撃され無残にも殺された。

満州東北部のニコラエスクでは石田領事以下、7百数十名が殺され(尼港事件)、昭和3年には済南に住む日本人居留民12名が殺害され(済南事件)、イギリスのデイリーテレグラフは、…「中国人は掠奪と殺人を天与の権利であるかの如く、暴行を繰り返している。日本人の忍耐にも限度がある」…と書いている。しかし、日本は世界と強調するために動こうとしなかった。

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尼港事件(Wikipediaより抜粋)
ロシア内戦中の1920年大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクパルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)が占領し、ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行うとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求し、これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍と共同で殲滅すると、老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。

殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。日本人犠牲者の総数は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされた。
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過激な排日の嵐は満州にも及んだ…満州には日露戦争で勝ちとった正当な権益がある。多くの日本人、朝鮮人が住んでいたがその平和郷も排日テロに晒された。…背後には日本を追い出そうとする中国軍の暗躍がある

広大な満州には関東軍と呼ばれていた日本軍が駐留していたがその数は僅か1万、対して中国軍は25万、満州各地で日本人が無差別に襲われていたが日本政府は中国側との摩擦を恐れ、関東軍の出動を許さなかった。

「腰の軍刀は竹光か!」と日本人居留民からも涙の抗議を受けるが関東軍は命令がなければ動けない。…だが忍耐のおが切れる時が来た。

ここまでやられたら、アメリカだったら完全にキレて5回は開戦してますね。

昭和6年9月18日、日本の経営する南満州鉄道の線路が夜半、奉天に近い柳条溝で爆破された(柳条溝事件)…報告を聞いた関東軍司令官、本庄繁は、「隠忍自重はこれまで」 とついに全軍に出動を命じる…これが満州事変の勃発である。(実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった)

戦後日本が満州を侵略するための謀略と喧伝された事変であるが、事実は共産勢力に便乗した排日テロを一掃するため、ついに軍が動いたのである。

事変後、満州事変を調査した調査団のリットン卿も…「鉄道爆破のみで起こした軍の行動は自衛手段とは認められない。しかし、兵が自衛のためと信じて行動したことまで排除するものではない。その遠因は中国の秩序なき混乱にあり、内乱より受ける損害は日本が最も痛切なるものがある」…と報告書に書いている。

日本の侵略行動と言われた満州事変は、まさに戦後に捏造され今日まで長く続いているものなのだ。


満州国建国 真実を隠すのは誰か…ついに日中戦争へ…
中国軍が一掃されたこの機に満州人による満州国が日本の支援により建国され、満州人、日本人、朝鮮人漢人、蒙古人の五族が平和な王道楽土を築こうとしたがその夢ははかなくも消えてしまう。

昭和12年7月7日、北京西方にある盧溝橋で夜間演習中の日本軍に中国側から5発の発砲があった。…盧溝橋事件である。

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日本は事件の拡大を望まなかったが通州(通州事件)に住む日本人居留民233人が中国軍により、無残な姿で虐殺されるに及び国民の怒りは頂点に達した。

 

通州事件の詳細
日本人には、考えもつかないような残忍な描写が続きます。
 ↓  ↓

https://hosyu3.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/134654

https://hosyu3.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/124651

https://hosyu3.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/132917

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通州事件Wikipediaより抜粋)
1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を襲撃し、大量虐殺した事件。

日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されて殺害され、殺害方法も猟奇的なものがおおかった。また朝鮮人慰安婦も殺害されている。
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次いで上海事変が起こるや戦火は大陸全土に広がって行った…これが支那事変である。
戦後日本はこの支那事変で中国を侵略、掠奪と殺人を重ねたと強く非難され続けているが、事実は中国人同士の内乱に引きづり込まれたというのが真相である。

国内を統一した蒋介石は、自らの地盤を揺るがす中国共産党と熾烈な戦いをしていたが昭和11年西安蒋介石共産党につかまった以降、両社は闘争の矛先を日本に向けることに合意、その結果が日本を戦争に引きづり出そうと中国側が画策した盧溝橋での発砲事件である。

日本は元々、中国に敵意はなく、むしろ多くの日本人が中国人を励まし、近代化を援助していた…彼らから掠奪するものなど何もなかった。

また日本軍が南京で30万人も虐殺する必要がいったいどこにあるのであろうか。
そして日本が戦った相手は現在の中華人民共和国ではなく、蒋介石率いる国民党であった。…全ては戦後に日本を悪とするために捏造されたものである。

南京大虐殺など無かった事を歴史的事実、証拠から論証する
捏造に満ちた南京大虐殺

https://hosyu3.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/141148

大虐殺派のウソ写真と証言

https://hosyu3.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/142928


日本はこの支那事変を簡単にかたずくと思っていたがそうはならなかった…それはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連などが表では中立を宣言しながらこの支那事変に介入、背後で武器弾薬、食糧を蒋介石軍に輸送していたからだ(援蒋ルート)。

日本はなんとか支那事変の早期解決を図るため最大の支援ルートがある北部仏印に進駐する事を決議する。…輸送ルートさえ断てば事変は終わると判断したからだ。

だがアメリカはただちに屑鉄をはじめ精銅、機械類、飛行機生産原料などの重要物資の輸出を禁止する経済的措置を打ち出した。


ついにアメリカが日本の正面に出てきたのである…
日本は重要資源の大半をアメリカからの輸入に頼っていたが屈するわけにはいかない…政府は独自で重要資源を南方から調達しようとしたが南方を植民地にしている、イギリス、オランダはアメリカと強調して何一つ日本には売ろうとしなかった。

アメリカ、イギリス、中国、オランダによるいわゆる『ABCD包囲網』が日本を断崖に追い詰める。

昭和16年8月には、ついにアメリカは石油の輸出全面禁止を通告してきた…石油がなければ日本は立ち行かない。…政府の苦悩は極限に達した。

アメリカはすでに兵器産業に拍車をかけていた…戦争準備である。

昭和16年9月6日、大本営政府連絡会議は天皇御臨席御前会議で『帝国国策遂行要領』を了承した。(本年10月上旬までに外交交渉が成立しなければ日本は戦争準備を決意するとしたもの)

しかし、10月上旬を過ぎても日米交渉は始まらない…アメリカが求めていたのは外交交渉ではなく、いかに日本から最初の一発を撃たせ戦争を始めるかだった。

日本はそれを知らなかった…

陛下は9月3日、戦争準備を決意した国策遂行要領を白紙に戻し、日米首脳会談の実現に努力するよう指示された。

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戦争だけは回避したい…総理大臣、東条英機も同様に 「外交の余地ある間に戦争突入は国民に申し訳がたたない」 として 「止む得ざる場合は開戦する決意のもとに外交交渉を併行する
」 と決めた。

その期限を11月30日夜12時までとする。

日本は戦争をしたくなかった…しかしアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領に課せられた任務は、いかに日本に最初の一発を撃たせるかだったのだ。

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11月27日、ハル国務長官からアメリカ側の意向が日本側に伝えられた。…運命のハルノートである。

ハルノートには、日本は中国大陸から一切の陸海軍兵力及び警察力を撤退させ大陸における全ての権益を放棄するよう書かれていた。

政府は絶望した…中国大陸には満州を始め、多くの日本の権益地があり、日本人も多数生活している。それを残して軍隊、警察を撤退させることはできない。

過去に満州には、日清、日露の戦いで多くの同胞が血を流し勝ち取った正当な権益がある…それを捨てる事はできない。…国民が許さなかった。

明治開国以来、欧米列強の植民地化を避けるために必死に努力してきた…小突きまわされてもジット我慢してきた。…いくどどなく襲われた天災、飢饉にも耐えた。…だが日本民族の息の根を止めようとするアメリカの要求だけは耐えることはできない。

戦争をしない道は残されていた…全ての権益を放棄して許しをこう道はあった…しかし、それは戦争をしなくても戦争に負けたと同様の悲惨な末路を意味していた。

国民にはそれができなかった…武器を取る事を選択したのです。

軍令部総長 永野修身は、…「戦うも亡国かも知れぬ、だが戦わずしての亡国は魂までも喪失する永久の亡国である。たとえ一旦の亡国となるとも最後の一兵まで戦い抜けば、我らの子孫は、この精神を受け継いで再起三起するであろう」…と語った。

大東亜戦争は逃げも隠れもしない日本が戦争を決意した…一億の日本人が武器を取り決意した戦争です。

恥じる事も
たじろぐ事も無い

凛として日本人は
襲い来る外敵をはねのける為に
日本生存を懸けて戦った
自存自衛の戦いです

それが極東の国、日本の揺るがす事の出来ない
ただ一点の戦争理由です

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そしてアメリカの望む通り最初の一発を日本はハワイ真珠湾に放った
アメリカ陸軍 スチムソン長官
「今やジャップはハワイで我々を攻撃することで問題全部を一挙に解決してくれた。日本の攻撃の報せを受けた時、これで全米国民を一致団結させるような仕方で危機がやってきたという、ほっとした気持であった」

このハワイ真珠湾攻撃アメリカは『リメンバーパールハーバー』を合言葉に若者たちは戦場に続々と志願した。

日本を最後まで悪者に仕立てたアメリカの謀略に日本人もアメリカ人自身も今も騙され続けている。

ピューリッツアー賞を受けたアメリカの従軍記者 ジョン・トーランド
アメリカのように天然資源と広い国土に恵まれ、外国に攻撃される恐れもない国がどうして日本のように小さく、殆ど資源もなく、常にソ連のような仮借ない隣国の脅威にさらされている島国の置かれた立場を理化する事が出来るだろうか…アメリカが口にする正義は、結局は自己の目標を貫かんためであり、唱える道義は、その奥底において自らの利益の為であった」

子どもを愛し、妻を愛し、兄弟を慈しみ、両親を尊敬する多くの先人、だれ一人日本が侵略戦争をしたとは思っていません。

外国の土地を強奪した事実もありません…礼義智信という厳しい道徳観の中で育った日本人は、不正義を憎み、卑怯卑劣を嫌う武士道を軍人魂として教育されてきています。

あなたがもし日本人ならば、そして正義を愛するならば、かつての日本人も同じ日本人です。あなた方が誇れる先人の方々です。

あなたが自分を信じるならば、日本を守った先人を信じてください…英霊を先人の愛を見つめてください。

いま靖国の宮に祀られる2百46万6364柱英霊(平成13年10月現在)

 

極東国際軍事裁判東京裁判
英霊を貶めたもの…それは戦後すぐに始まった連合国軍による極東国際軍事裁判東京裁判)である。

この裁判で一方的に日本の侵略戦争が押し付けられ、日本軍の残虐行為と呼ばれるものが殆ど証拠もないままに確定された。

その判決を今も正しいものとして利用する人々がいる…だがこの裁判は、アメリカが日本の占領政策を円滑に行うために戦争に負けた日本人には、『悪いのは軍部であり、政府であったことを知らしめるために設置されたもの』…だった。

その何よりの証拠として裁判終了後、ウェップ裁判長も日本の侵略戦争をするどく糾弾したキーナン首席検事も…「この裁判は誤りだった」…と述べている。

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またこの裁判を強行させた連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー自身が昭和26年のアメリカ合衆国上院議会での軍事外交合同委員会で…

「彼らが戦争に飛び込んでいった動機の大部分は安全保障の必要に迫られての事だったと」…証言…「日本の戦争は侵略戦争ではなく、自存自衛の戦いであった」…と真実を述べている。

インド代表のラダ・ビノード・パル判事は、…「この裁判は、日本が侵略戦争をしたかどうかを審議するのはなく、最初から侵略戦争をしたという前提に基づいて審議をし、大衆の心を支配しようとした」…と批判、更に…「検察側の言う日本の侵略戦争の歩みを歴史の偽造」…とまで断言したのです。

獄中で病死した東郷茂徳外務大臣は、子供たちに…「いざ児等らよ戦う勿れ、戦はば勝つべきものぞ、夢な忘れそ(子供達よ戦争するものではない。しかし、もし戦うなら絶対に勝たねば駄目だ」…と歌を残している。勝たなければ無法な罪まで押し付けられる悔しさを伝えています。

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戦後侵略戦争の張本人のように言われ続けている東条英機は、自分を弁護する証人はだれ一人呼ばず、憶する事無く…「日本の戦争は自存自衛の戦いであり、自分は間違っていない」…と証言台で公然と胸を張った…「ただし、国民に対しては敗戦した責任は自分にある」…と語っている。

いまこの靖国神社には、A級戦犯という汚名を着せられた東条英機を始め、14人の方々が『昭和殉難者』として祀られている。

昭和殉難者
東條英機土肥原賢二板垣征四郎梅津美治郎木村兵太郎武藤章永野修身広田弘毅、- 平沼騏一郎小磯国昭松岡洋右白鳥敏夫

昭和27年、日本が独立した後、当時の日本政府が戦犯で処刑された方々を戦争犯罪人とはみなさず戦争による公務死と認定したからである。

日本軍人を裁く裁判は、日本本土以外でも行われ、多くの軍人軍属が罪もなく断頭台の露と消えているのです。

靖国神社に祀られる大東亜戦争戦没者:2百13万3778柱英霊

 

「凛として愛」

 

 

 

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